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クレイグ・シェパードレコード芸術インタビュー 2009年10月東京 聞き手:広瀬大介博士

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クレイグ・シェパード対談集 インタヴュアー/ ロブ・バーネット(クラシカルミュージックウェブ)2002年8月30日


バーネット: クレイグさん、あなたのご家族のことについてお話していただけますか?

シェパード:私の家系8〜10世代のほとんどが、アメリカで暮らしてきました。基本的にスコットランドとイギリスの系統ですが、アイルランド、ドイツ、 ポーランドの血筋も入っています。私の父は87歳で亡くなりました。現在、母は85歳です。私は11月の終わりに57歳になります。(2009年 6月現在、62歳)兄と弟がいますが、二人ともビジネスマンです。

どんな学校教育を受けられましたか?

中学校までは普通の学校教育(アメリカの公立学校にて)を受けたあとすぐに、フィラデルフィアにあるカーティス音楽院に3年間、そして、ニューヨークにあるジュリアード音学院に、もう3年間行き、ジュリアードで学士過程と修士課程を終えました。

どの先生に学ばれたのですか?

カーティスでは、今年で90歳になられるソコロフ氏(2004年10月時点)に師事しました。ジュリアードでは、ゴロドニツキ氏に学びました。マルボロにいましたときは、プライベートでルドルフ・ゼルキン氏からレッスンを受けました。ジュリアードを卒業後は、ロンドンとニューヨークでイローナ・カボス女史に、またロンドンでクリフォード・カーゾン氏に学びました。

アメリカにおける音楽教育と、イギリス、又はヨーロッパにおける音楽教育には、何か一般的な違いがあると思いますか? もしそうであれば、何が相違点で、それらがどこにあると思われますか?

歴史を遡ると、たくさんの違いがあったかもしれませんが、最近では、アメリカやヨーロッパの国々で教えている教師達は、数え切れないほどの違ったバックグラウンドやナショナリティーを持っているため、それぞれの国の間で大きく異なる一般的な教育方法というものはないと思います。私の目から見ますと、特別なある国からのアーティスト達の見せるそれぞれの特色は、誰から教わったかではなく、彼らがどこでどう育ったかという一般的環境が大きく影響しているのだと思います。

カーゾン氏と過ごされた時のことを話してくださいますか?何か特別な真相はありますか?

クリフォード氏は、スコアの非常に細かい部分まで異常なまでのこだわりがありました。この彼の性格は、シューベルトの即興曲変イ長調の演奏解釈において、彼自身を活気づけたり(又、シューマンのピアノ協奏曲の演奏解釈においても)、イライラさせました。彼とのレッスンで、はじめの8小節の和音一つずつ、二つの和音の間に起こるそれぞれの音の関係などに、まるまる30分ほとかけて分析したことをはっきりと覚えています。このことは、私にとって一番価値のあるレッスンだったといえますが、30分が過ぎたところでどうか先に進んでくださるようお願いしたくらいです。

ピアノのほかに、何か楽器を弾きますか?

子供の頃、クラリネットを弾いていました。でも、とても下手でした。

現在、ほとんどの人達の間で、ピアノが弾けることは欠くことのできない社会的偉業の一つと見なされていない点で、われわれは何か失っていると思うのですが、私達は何を失っていて、何を得ているのでしょうか。

私が育った環境は、この状況とはまったくかけ離れたところにあったので、お答えできません。

ピアニストとしてのデヴューは、どういったいきさつだったのですか?

私が正式にデヴューを果たしたのは、1972年一月、ニューヨークのメトロポリタン美術館においてでした。また、私の演奏家としてのデヴューは、10歳のときに私の故郷フィラデルフィアの近郊で地方のオーケストラとメンデルスゾーンの「華麗なカプリッチオ」を演奏した時と言う人もいるかもしれません。

最初に共演したプロフェッショナルのオーケストラはどのオーケストラですか?また、初めて共演した指揮者は誰でしょうか。

12歳のときに、子供のためのコンサートで、フィラデルフィア交響楽団と共演するための二つのオーディションに優勝しました。一つは、野外のコンサートで、もう一つはフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックでのコンサートでした。両方のコンサートで共演した指揮者は、長年助手を務めたウィリアム・スミスでした。

あなたの中で、最高の経歴は何ですか? 私は、数々の素晴らしい瞬間を経験してきました。明らかにその一つといえるのは、何年も前になりますがコープランドと、彼のピアノ協奏曲で共演したことです。私達は、アメリカとロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで演奏しました。また、ザルツブルグ、イギリスのいくつかの場所、またシカゴにおける、ゲオルグ・ショルティ氏との共演もまた最高の出来事です。ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」をメニューイン指揮、ロイヤル・フィル・ハーモニーとバービカンにおいて共演したことも素晴らしい経験でした。1999年ベルリンにおけるベルリン・フィルでのリサイタルもかけがえのない出来事でした。観客と批評家達が熱狂的に反応を示してくれましたし、特にゴールドベルク変奏曲演奏後は一番盛りあがりました。また、イダ・ヘンデルや、エマーソン弦楽四重奏団との共演も、私の音楽を大変豊かにしました。

室内楽において、他のソリストと共演したことがありますか?

1980年代に何度かイダ・ヘンデルと共演しました。非常なる喜びでした。ヴァイオリニスト、藤川真弓さんとも何年間か一緒にデュオを組みました。

一番好きなピアノ協奏曲は何ですか?そして、それはなぜですか?

好きなコンチェルトはたくさんあります。たくさんのピアニストとは反対に、私のお気に入りは、一番難しくて演奏し甲斐のあるブラームスの第2番でしょうか。多くのピアニストは、絶対的に難しいコンチェルトに、バルトークの第2番を上げるでしょうけれど、たとえブラームスのほうがもっと皆に良く知られていて、そのテクスチャーがわかりやすいとしても、私はブラームスのほうがもっと難しいと思います。どのモーツァルトのコンチェルトの演奏することは大好きですし、また明らかにベートーヴェンのコンチェルトも私のお気に入りとして上げなくてはいけません。時々、ラフマニノフの第3番のコンチェルトも演奏していて楽しいです。私のイギリスでの最初の成功は、ラフマニノフの第3番でしたが、それは私のお気に入りの曲とはいえないのです。

ラフマニノフの第3番のコンチェルトがお話にでてきましたが、第1番と第4番については、どう思われますか?

私がもっと若かった頃はよく第1番のコンチェルトを演奏していました。忘れないでいたたきたいのは、ラフマニノフが亡命する直前、1917年モスクワで作品39番練習曲集を書き上げた直後に、この一番のコンチェルトは実際に作品1番No.39bとして改訂されたということ。第4番のコンチェルトは、練習しましたが演奏はしていません。それは、私のお気に入りにはなりませんでした。(私の多くの同僚は、そう思わないかもしれませんが)私は、疑いもなく、「パガニーニの主題による狂詩曲」が彼のコンチェルトの中で最も素晴らしいと思います。

この対談のはじめに、ゼルキン氏に師事されたことをお話になりましたが、ゼルキン氏のジョージ・セル指揮クリーヴランド・オーケストラと共演のブラームス第2番のレコーディングについてご存知ですか?ゼルキン氏の特質は何でしたか?

はい、知っています。私はそのレコーディングが大好きです。しかし、全般的にゼルキン氏の録音はあまり良くないと思うのです。マルボロで交わした彼との会話から判断すると、彼でさえこのことに同意すると思います。コンサートで、彼は演奏にむらがあることは皆の知るところでした。しかし、演奏がうまくいったとき、百発百中したときの演奏は、本当に忘れがたく、尊大で、信じられないほど活気の漲ったものでした。彼から教わった一番大切なことは、いかなるときも楽譜に忠実であること、並外れた彼の人格をその演奏にくみ込むという、音楽に対するたゆまぬ姿勢でした。この奮闘を目の当たりにすることは、本当に有り難い経験でした。

演奏の前に緊張感に襲われますか?どうやって対処しますか?

私はほとんど緊張感に襲われることはないのですが、どちらにしても、確実に自分の内面的な準備をしています。そうしなければ、自分自身を演奏家とは呼べないからです。これは、ロンドンであっても、ベルリンであっても、名の知れない所であっても、どの演奏の場でも当てはまります。しかし、緊張したときは、ほとんど壊滅的に近い影響を受けるでしょう。もし舞台裏にいて緊張して来たときには、おそらく、深く、息の長い呼吸の練習が役に立つでしょう。もしくは、演奏中に何らかの理由で手が震えてきた場合は(私にも経験があります)、ただただ克服しなければいけません。簡単な対処方法はないのです。

何人かの演奏家は、演奏能力を高めるために興奮剤を使うと言っていますが、、、

私は、よく夕食のときワインを飲みますし、月に一度か二度スコッチをたしなみます。でも、たばこは全く吸いませんし、演奏が近くなるとアルコールは飲みません。コンサート前、またはコンサート中でさえお酒を飲むという有名なアーティストの告白についての話をききますが、私には想像ができません。

何人かあなたが共演したい指揮者の名前を上げて下さい。そして、それはなぜですか?

恐らくあなたは、今生きている指揮者のことについて話しているでしょう。マイケル・ティルソン・トーマスは、私が知っている指揮者のだれよりも、たくさんのアイディアをもっていると思います。彼と一緒にいるとき、演奏するときはいつも、ワクワクします。デイヴィッド・ジンマンは、素晴らしい伴奏者、音楽家です。何年も前になりますが、ジェームス・レヴァインと共演した素晴らしい経験をいまでも覚えています。それから、レナード・スラトキンも度の局面から見ても、素晴らしいとしか言いようがありません。

わかりました、今お話になったのは現存の指揮者の方々でしたね。それでは、もうこの世にいない指揮者についてはいかがでしょうか。

エーリヒ・ラインズドルフ氏との共演は、スリルを感じました。私はその当時、たったの19歳で、ブラームスのニ短調のコンチェルトをタングルウッドにて、彼の指揮で学生オーケストラと共演しました。ラインスドルフ氏はとても親切で、とてつもなく私に対して辛抱強い方でした。また、ショルティ氏は奥深い影響力を持っていました。それはおそらく、1980年代後半の時期に、光栄にも彼と彼の家族と親交を深めることができたからだと思います。一番記憶に残るところは、彼の卓越した音楽に対しての倫理観でした。二つの例をあげますと、妻(今の前妻)と私はイタリアにありますショルティの夏の別荘で彼の家族と一緒に休暇を過ごしていまして、ショルティはバルトークの弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽とベートーヴェンの交響曲第3番を指揮するためパリへ発つところでした。彼が片方のスコアを勉強しているとき、私はもう片方をお借りしていたのだと思います。気づいたことに、確か1947年だったと思いますが、その初回からのすべてのレコーディングと演奏についての記録が、そのベートーヴェンのスコアの1ページ目に記されてありました。スコアとメトロノームを持ち、外の芝生に出て、スケルツォにおける彼のテンポが厳密に正しいかどうかを確認しているお姿もありました。ショルティは、なんと八分音符=130と132の違いを聞き分けられる人でした。私がモーツァルトのピアノ協奏曲K.491ハ短調をショルティ指揮、ロンドン・フィルと共演のため準備していた頃、彼がこのことを証明して見せてくれました。この偉大なマエストロは、自分自身のスコアに対する理解が真実で正確であるかどうかを確かめるほどでした。またもう一つの機会は、スイスでショルティのご家族とご一緒していまして、彼はリヒャルト・シュトラウスの『影のない女』の第二幕の録音のため、これから数日間ウィーンへ発つところでした。私達が眠りの最後の瞬間を楽しんでいるかたわら、1日の残りを家族と友人達と楽しく過ごすために、なんとショルティ氏は朝6時までコーヒーを片手に机に向かっていたのでした。忘れてはならないのは、彼はなんと当時77歳近かったことです。

過去に、悔やまれる演奏はありますか?

いくつかあります。でも、それらは大昔のことです。もしできるのでしたら、忘れてしまいたいほどです!言えることは、自分自身あまりにも大変なレパートリーをあまりにも短期間で仕上げる予定を立ててしまったとき、ほとんど毎回こういうことがおこりました。若いときには、うまく調整し未然に防ぐためにマネージャーに頼ることなのでしょうけれど、私の経験上、めったにこういうことは起こりません。たとえあからさまに、近い将来、否定的な結果をともなう決断だったとしても、アーティストは早い時期に自分自身で立ち上がってノーと言うことを学ばなければいけないと思います。

今までに個人的にあるいは、音楽学校や大学などでピアノを教えたことはありますか?また、偉大になった生徒たちのお名前をあげてください。それから、いつ、どこで教えられたのですか?

ロブさん、この質問を待っていたのですよ。これまで私達のお話は、私のピアニストとしての人生についてでしたから。教えることはいつも私の時間、エネルギー、また関心の大部分を占めていますし、フィラデルフィア、ニューヨーク、ロンドンまたはシアトルのどこに住んでいても常にたくさんの個人レッスンの生徒をかかえていました。ロンドンではギルドホールで1981年から1986年のあいだ教えていましたし、サリー州にありますメニュイン音楽学校へ1978年から10年間、マスタークラスをするためによく行き来しました。私の20年間に渡るイギリス時代には、オックスフォード大学とケンブリッジ大学の両方で何度もマスタークラスを開きました。私は1993年からここシアトルにありますワシントン大学で教えています。極東、旧ソビエト連邦国、ヨーロッパ、南アメリカなどの世界中から集まる、またこの国で生まれ育った、才能にとても恵まれた生徒たちがいます。総合大学と音楽院の体系には、大きな違いがあります。総合大学で学ぶ学生達はもっとより徹底した知的教育を受けられますし、息の長い専門的職業のためには好ましい環境だと思います。ちなみに、コンクール優勝者や、コンクールを目指す人はよく私達のもとに博士過程で学ぶ目的でやってきます。4つのリサイタルに加え、博士過程の中で最難関である博士論文が最後に要求されます。また、この期間、学生達とともに、私にとっても学びのピークに達します。過酷な仕事ですが、とても楽しいことでもあります。

偉大になった私の生徒たちについての質問ですが、ヨーロッパでは、Nigel Hutchison、Falko Steinbach、それから Rachel Quinnの3人は皆、幅広く演奏活動をしていますし、教えてもいます。Rachelは、彼女の故郷ダブリンで開いたコンサートが大盛況に終わったと聞いていますし、Falkoは、ニューメキシコ大学で教鞭をとっていて、大成功のドイツ・ツアーから最近戻ったばかりと聞いています。この国では、個人レッスンの生徒だったSean Botkinが大成功していて、何人かの博士過程に在籍中の生徒の行く末を見守っているところです。特にその中でも二人は本当に輝かしい才能があると言えます。

将来にビッグになるだろうと目星をつけている生徒は?

将来を予期するのは、危険なことです!

学位や、賞などについては?

まずはじめに、もちろん、私にとって最も重要な賞は、1972年にリーズ国際コンクールでのシルバーメダルです。今でも、この業績に誇りを持っています。

受賞直後に、どんな契約の申し出がありましたか?

たくさんの申し出が私のもとにきました。その中には、アルバートホールでのロイヤルコンサート(イギリス女王にお目にかかれた唯一の機会でした)、それからBBCテレビでのリサイタルが含まれます。

リーズ国際コンクールの競争相手は誰でしたか?それから、いまでもコンタクトを取っていますか?

ええ、ご存知の通り、その年、マレイ・ペライアが金メダルを勝ち取りました。マレイと私は良き友人でした。特に私の20年間に渡るイギリス生活の終わりにかけてでしょうか。今でも時々お互い連絡しあっています。その年の銅メダル勝者、ユージン・インジッツは、今でもパリに住んでいると思います。(最近彼がショパンのマズルカ全集を録音したと知りました)

リーズの様々なステージで何を演奏されたのか教えてください。

初戦で、ベートーヴェンの作品31第一番、ショパンのバラードヘ短調、そしてドビュッシーのアルペッジオのための練習曲を演奏し、第二ラウンドでは、リストとバルトークのソナタの両方を演奏。セミファイナルでは、モーツァルトのピアノ協奏曲K.449変ホ長調をリバプール・フィルと演奏し、ソロのリサイタルでハイドンのハ短調のソナタとストラヴィンスキーのペトルーシュカを弾きました。ファイナルでは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を演奏しました。当時のレパートリーは、Fanny Watermanの選曲した現在のレパートリーとはまったく違ったものでした。

世界を渡り歩くコンサートピアニストの人生についてどう思われますか?

世界を旅するアーティストの生涯というのは、華々しく見える外見とは程遠いといえます。とてもよくあることですが、何もすることのなくなったコンサート後や話し相手のいない時、一人見知らぬ都市に身を置く自分に気が付きます。私の読書好きによっていくらか限界は緩和されますが、コンサートのあとの数時間は適切に緊張感をほぐすのにとても大切なのです。そして、友人や家族の助けがあれば、もっと簡単に緊張をほぐすことができます。

あなたにとって、今でもそのような人生は魅力的だと思いますか。

もちろん、そして今もよく旅行にでかけます。実際、今年は、日本と台湾へ行きました。それから、ヨーロッパ大陸にも演奏しに行きました。興味深い人との出会いや、新しい場所、おもしろい場所を観ることが大好きです。これはまったく飽きの来ないことですけれど、それにも増して、私は、とても家を愛する人なのです。そして、ここシアトルに築いたホームを愛してやみません。

リーズで勝ち取った銀メダルは、あなたのキャリアを変えましたか?

はい。ほとんど耐えきれないほどプライバシーに立ち入ってくるファンなど、否定的なサイドも見えました。

あなたにとって観客は、どのくらい大切ですか?英雄崇拝が、音楽への純粋なる敬意を台無しにすることについてどう感じていますか?

どの演奏家にとっても、観客からの全体的なエネルギーは大変重要です。そうでなければ、私に話してくる人を誰も信じませんでした。しかし、なぜ、またどのようにこのエネルギーが自分にとって大切なのかということは、年を重ねるにつれ変わってきました。私の若い頃の演奏を聴いたであろう多くの人々は、私が今演奏後に立ち上がってお辞儀をすることが苦痛を感じていることの事実に驚くかもしれません。私は、ただ観客にそれを気づかれないように舞台裏に歩いて行きたいだけなのです!正直な話、これは偽りの謙遜でも何でもないのです。ただ単に私が良く感じることなのです。お分かりの通り、完全に音楽の中にのめり込んでいると、曲の終わった時点で急に観客と適応することは大変圧倒されるようなことです。一方で、観客のエネルギーと交流しあうことの私の必要性と、私が彼らに与えたことに対しての感謝の念を表すことの彼らの必要性に関して強く意識しているので、今日私は今までと全く違った考え方をもって演奏しています。これは、もし上手い話にきこえたとしたら、それでもよいです。私達は、称賛すべき所が何であろうと、皆舞台の上で私達の恵まれた才能を分ち合っているのです。もし分ち合いたくなければ、私達は、舞台にいる権利がないのです。英雄崇拝については、悲しいかなどこにもこれは存在します。私も、同様に英雄崇拝を人々と分ち合いました。好ましいことではありませんが、好き嫌いに関わらず、これは将来も変わらないでしょう。幸運にも、私は観客のほとんどが私の音楽に対して答えてくれていると信じています。良く演奏されたとき、もし演奏が上手くいったとき、なぜ彼らが反応せずにいられるでしょうか。

攻撃的で否定的な批評に対してはどのように対処しますか?

私の反応は様々です。その批判があまりにも辛らつな場合、しばしば怒りますし、もしくは傷つきますし、もしくは両方でしょう。時間がたてば、その批評が後々取るに足らないことであると気づくか、その批評家が何か本当に学ばなくてはならないことを、私に気づかせようとしていたのだと理解すると思います。どの批評にも、必ずひとかけらの真実があります。同様に、絶賛の好評であったとしても、少し冷静に受け止めることも大切だと思います。一番大切なのは、舞台の上で何が起こったかという結果ではなく、舞台に上がるまでの過程が大切です。

何か趣味はありますか?余暇の楽しみは何ですか?

いろいろな本をたくさん読みますし、体調をたもつためにシアトルにいるときは、週に何度か泳ぎます。泳ぐことで、大変リラックスできます。

今まで演奏された作品の中で一番難易度が高かったものは何ですか?また、それはなぜでしょうか。

そうですね、例えばラフマニノフの第3番のコンチェルトのようにものすごい数の音が並んでいるものもありますが、イマジネーションを働かせるという点においてはそこまで要求度の高いものだとは思いません。前にも申しましたが、レパートリーの中では、ブラームスの第二番のコンチェルトが一番難しいと思います。すべての音は知られていますし、どういう風に聴きたいかという考えもそれぞれ皆が持っているほどです。レパートリーのほかの曲にも同じ事が言えるかもしれませんが、もし真のブラームスの技巧的かつ音楽的難しさをさらに上乗せすると、ほとんど演奏不可能なくらい難しいものだと思うのです。私の先生の中の一人、ルドルフ・ゼルキンが「ハンマークラヴィーア」は難しいのではなくて不可能なのだと、ある時おっしゃっていたことを覚えています。何度も何度も演奏して、ブラームスが何を表現したかったのかということについて私は理解していると思います。それはもしかすると非常に小さなことなのかもしれませんが、いつも上手く行かない何かが、また上手く行かないだろうと思っているときには、上手く行ったりするものなのです。非常に演奏し甲斐があると同時に、骨の折れる作品は、私が良く演奏していたゴールドベルク変奏曲でしょうか。私のレパートリーの中で、若いときに演奏した多くの、いわゆる突進型超絶技巧曲というものも挙げられます。今の時点では、音楽の別のところに関心がありますが、将来それらを演奏するということは無視できないし、実のところ、はっきりとした演奏の可能性があると言えます。

ライブコンサートでの演奏と、スタジオ録音と、どちらが好きですか?

一般的には、スタジオ録音は嫌いです。生気のないマイクにむかってではなく、聴衆のみなさんの反応が必要です。私の演奏は、必ずと言って良いほど、生演奏ほうがもっと良いです。

どのアーティストを称賛しますか?また、それはなぜですか?

たくさんありすぎて、ここにお名前を挙げられません。

クラシック音楽と現代音楽の間に、大きく開いた亀裂があると見受けますが、この問題についてどうお考えになりますか?

これは、ナンセンスです。すべての人に自由があるのです。私達がいままでに演奏した中で(又は、聴いた中で)最も偉大であると思いますが、その時代からのたくさんの素晴らしい他の音楽家の存在を否定できないし、この一つ前の世紀からの音楽家達の存在も除外できないと思います。それとは反対に、バルトークの音楽は今日多くの領域で、ほとんどクラシックとして見なされているのです。もっと多くの現代作曲家がゆくゆくはより良く理解されるでしょうし、それにつれて、過去にも起こっているように多くの作曲家達が忘れられていくのです。この点においては、この先においても変わらないことだと感じています。

他にあなたの知っている、または会ったことのある著名な音楽家はどなたですか?そして、彼らはどのようにあなたに影響を与えましたか?

前にもお話にでてきましたが、クリフォード・カーゾン氏とゲオルグ・ショルティ氏は、私がロンドンに住んでいたときに私に多大な影響力を与えてくださいました。晩年のクリフォード氏については良く知っていますし、一人の芸術家として、また一人の人間として愛すべき人でした。また、何度かの機会にショルティ氏と共演するという幸運にも恵まれました。そして、彼の信じがたいほどのエネルギーと何に対しても人並みはずれて鋭い耳が同盟し合ってリズムや色彩や音などのありとあらゆるものを創造することをそばで経験できたことは、いつも私の感謝するところです。

何か政治上、または宗教上の信念がありますか?何について、またどのくらい敏感に関心を持っていますか?

政治的に強い思いがありますが、自分の中にしまっておきたいと思います。友人達と、良い関係を保ちたいです。また、とても深い信仰心も持っていますが、再び、公にするものではありません。

どの現代作曲家を称賛しますか?それは、なぜですか?

ルチアーノ・ベリオ氏が好きですね。豊富な発明力は信じがたいほどです。いくつかの室内楽曲以外は、あまりたくさんは演奏していませんが、メシアンは常にお気に入りです。私は、クセナキスに対してひそかな称賛を持っています。おそらく、その不可能的な難しさと目もくらむほど刺激的なところが彼の作品にあるからだと思います。

ある時は、知性によって作曲したり、又は感情によって作曲したりのいずれかであると言われますが、あなたはどうお考えになりますか?

どのようにその二つを分けて考えられるのでしょうか。私の定義の中では、知的なものは感情的なものと協調させなければならないし、その逆も成り立たなくてはいけないのです。

演奏家として、あらゆる作品を演奏するとき、何を基準にするのですか?作曲家の意図、もしくは、作曲家の自己表現とを見極める基準はどうやって決めるのですか?

これは、厄介な問題ですね。正直に言いますと、作曲家は、演奏家が作品に命を吹き込んでこそ生き返ることができるのです。作品が聴かれるためには、あらゆるクラシック音楽のどの演奏も、その演奏家のパーソナリティーを通して変化されなければいけないのです。演奏家として、どの限度私達自身を差し挟むかということは、現実の問題です。それは、危なっかしい綱渡りのように見えます。演奏家は、楽譜上に書かれたすべての物を理解し、誠実でなければいけないと思います。そのうえ、その時作曲家が本当に言いたかったことを冷静に明らかにしていくべきだと思います。過去35年間多くの作曲家たちと一緒に仕事をしてきまして、彼らが楽譜に表したものは、たいてい詳細な計画だけではないことなど、すべて分かり過ぎるほど理解しています。何度となく、もし私が何かを変えてしまった場合、その作曲家は、「そこは、変えてもいいですよ。なぜなら、あなたはこの曲のテーマに、私がこの曲を作曲しているときの着想とは少し違った方向からアプローチしているのですから。あなたの結論は、完全に自然ですし、筋の通ったものでもあるのです。」というでしょう。また他の場合、印刷された全く些細なところに全くゆずれないという作曲家もいます。そのどちらでもうまくいきます。私達演奏家にとって問題となってくるのは、いわゆるこの世にいない作曲家達とのことです。たいてい、その作曲家達は楽譜から私のところに飛び降りてきて、率直に、積極的に、肯定的に私に語りかけてきます。しかし、ベートーヴェンや、バッハ、モーツァルト、またはシューマンに電話をかけて、間違った位置についているような疑わしいヘアーピン(クレッシェンドとデクレッシェンド)、スフォルツァンド、ピアニッシモなどについてそれらがどう言う意味なのか、お聞きしたいと何度思ったことか。こんな出来事は、心地よい夜の眠りを台無しにしてしまうくらいです。大袈裟に言っているのではないのです!このような特定の時期の作品と関わりあっていくために言えることですが、正直で誠実な演奏家には、もしより良い方法で楽譜を生きかえらせることが許されるならば、楽譜の中のいくつかを変えられる権利があると思うのです。またそれは、演奏家の義務とも言えるかもしれません。

あなたにとって、容易に対応できない作曲家はいますか?

たいていどの作曲家の中にも、自分と心が通じ合う何かをみつけることができます。おそらくある作曲家とは馬が合って、ある作曲家とは気持ちが通じにくいなど、多少あるかもしれません。

あなたの演奏した曲を他の演奏家も演奏したとしたら、どういう部分にイライラしますか?

私自身が演奏した曲であろうとなかろうと、間違った音楽づくりが、多くの若いうちに成功を収めた現代のピアニストの世代に蔓延していることに強烈な腹立たしさを感じます。私の言う「腹立たしい」というのは、ダイナミクスとテンポの行き過ぎた誇張、全く偉大なる作品の一部分である簡素な動き、思想、感情に対する完全なる心遣いの欠落に対してです。ピアノ作品の中にあるこれらのすべての素晴らしいピアノ曲に対して、先導者である目上の、定評のある、熟練したアーティストたちがいまだにいるということは、幸運である。主催者や、マネージャーは、聴衆が本当に見聞きしたいものはこのことであると思っているように見えますが、私はその件について確信できません。

どの作曲家が一番優れたピアノのための作曲家だと思いますか?それは、なぜですか?

生存する、しないに関わらず、すべての作曲家の中でバッハが最も偉大だと思います。1980年代の古いハイネケンの広告を引用しますと、「バッハは他の作曲家が達することのできなかった部分に到達した」とあります。

音楽の中の男性らしさと女性らしさの暗示をどのくらい受け入れますか?

これもまた、ナンセンスですね。この世のすべての人間それぞれの中に、男性的要素と女性的要素が存在します。単にその混合が個人ひとりひとり、作曲家ひとりひとり違うというだけのことです。ある人は、最も男性的な作曲家の中の女性らしさについての例を終わりなく挙げることができるでしょうし、最も外面的に女性的である作曲家の中の強い性格(もし「強い性格」が女性らしさの反意語であったとすれば、それは間違っています)の例も挙げられるでしょう。特にショパンの中に鉄の意志を感じます。実際、ショパンが生まれたというワルシャワの郊外、Zelazowa Wolaは、ポーランド語で「鉄の意志」という言葉の古い書式だそうです。何て偶然なんでしょう!

例えば、あなたがコンチェルトを弾いていて、馬の合わなかった指揮者はいましたか?もし亡くなった指揮者でしたら、例えとして名前を挙げてくださいませんか?

生存する指揮者、生存しない指揮者の両方に何人かいます。お名前を挙げるのは差し控えます。

今までに、演奏のために頼んでもいないのに送りつけられた作品の原稿を受け取ったことがありますか?それにどう反応しますか?その中であなたが実際演奏した、上出来な曲はありましたか?

そのような作品は、たくさん受け取りました。いつもすべてに目を通しますが、時間がなかったり意欲がなかったりで、あまり頻繁には演奏しません。

嫌いな曲は演奏しないというのは、どのくらい真実なのでしょうか。

特に私がまだ若い頃、いくつかの機会に、嫌いな曲を練習し始め、最後は好きになったということもあります。だから、必ずしも私の第一印象は信じません。

何か書籍、論文などを出版したことがありますか?

まだ、一度もありません。

何かお話が放送されたことがありますか?

イギリス、ドイツ、フランスとアメリカで放送されたことがあります。どの場合もその国の言語で質問に答えました。

ディスコグラフィーについて聞かせてください。

1970年代に演奏したリストのオペラの編曲とパラフレーズの入った古いLPをEMI社(Classics for Pleasure)から数年前に再発売しました。今のところ、ドイツAnnette Tangermann社(tel. 00 49 30 805 5558, fax. 00 49 30 806 03063)、at-label@gmx.deから発売された4枚のCDがあります。イギリスでは、販売されていないと思います。これらのCDには、バッハのゴールドベルグ変奏曲、ベートーヴェンのディアベリ変奏曲、スクリャービンのソナタ第5番、ショパンとスクリャービンの前奏曲集、ラフマニノフの練習曲集とスカルラッティのソナタのライブパフォーマンスが含まれています。後者は、ここシアトルにありますミーニー・シアターで、私が行った過去数年間のコンサートでの演奏を録音したものです。シューマンの全ノヴェレッテ、ラヴェルの『鏡』と『夜のガスパール』の生演奏が収録された5枚目、6枚目のCDは近日発売になります。

あなた自身のお気に入りのレコーディングは何ですか?そして、それはなぜですか?

ベートーヴェンのディアベリ変奏曲は、私がいつも誇りにしている演奏です。最近、ベルリン市民お気に入りのクラシック音楽のトークショーで特集に組まれ、過去現在の偉大なるアーティストたちによるレコーディングと比べて引けを取らないと称されました。私はベートーヴェンのピアノソナタ全曲演奏に専念したコンサートシリーズに乗り出すところです。そして、それらは最終的にCDとビデオの両方で発売する予定です。

あなたのレコーディングを挙げて下さい。そして、それらの購入方法について詳しく説明していただけますか?

Annette Tangermann社の電話番号とファックスナンバーを上に記しました。彼女に手紙を送りたい方は、以下のアドレスです。Friedenstrasse 16, 14109 Berlin, Germany.

若いピアニスト達のための教訓について話してください。

どの若いアーティスト達にとっても、寛大で探求的な心を持つように、手当たり次第たくさんの違った情報源から本を読むこと、たくさんの仲間たちのコンサートに行くこと、そしてもちろん、新しい音楽を常に学び練習することをアドバイスします。そして、それが何であれ、果敢に自分の奥底にある自分自身に正直になること。これを成し遂げることが一番難しいのです。

著名なピアノコンクールで優勝した若きピアニスト達への贈る言葉を教えてください。

発展と成長の必要性を見えなくしてしまう、束の間の達成感に浸らないこと。

コンクールの役割はどうあるべきだとお考えですか?そして、どのくらい重要なのでしょうか。

コンクールは大きな意義があると思います。そして、ピアニストとしてのキャリアに乗り出す準備が出来ているのであれば、コンクールは多いにその助けとなるでしょう。(ラドゥ・ルプーとマレイ・ペライアの場合が、これに当てはまります)そうでなければ、コンクールにたくさんの利点は見えてきませんし、総体的な成長または人生全体に重要な意味があるという息の長さをあまり確信できません。

無人島へ10個だけレコーディングを持って行けるとしたら、何を持っていきますか?

確実に、ピーター・ピアーズとベンジャミン・ブリテンが1963年から手掛けた彼らの『冬の旅』を持っていかなくてはなりません。私は史上最高のレコーディングだと思うのです。私の人生のある一点で非常に深い印象を与えたのはブッシュ四重奏団のベートーヴェン作品130のレコーディングでした。バーバラ・ヘンドリックとラドゥ・ルプー演奏のシューベルトの歌曲も持っていくでしょう。マレイ・ペライアのヘンデルとスカルラッティのCD。それから、アルフレッド・ブレンデルのディアベリ変奏曲の入った初期のレコーディング(1976年)。ポリーニのダビッド同盟集。クリフォード・カーゾンのK.595。または、エドウィン・フィッシャーのK.491。言うまでもなく、私が持っているコルトーとラフマニノフの古いレコーディング。本当に、10個のレコーディングに絞り込まなくてはいけないのでしょうか?!

ついこの前、Philipsが『今世紀が生んだ偉大なピアニストたち』シリーズの発売を開始しました。このようなコンセプトをどう思いますか?また、生存していない10人のピアニストとして誰をノミネートしますか?

コンセプトは、良いと思うのですが、私の視点から見ますとあまり成功しているとは思えませんでした。独断的な候補者のリストは驚くほど難解でショックを受けました。亡くなった偉大なピアニストたちの中では、ホフマン、ラフマニノフ、コルトー、イグナーツ・フリードマン、そしてルービンシュタインでなくてはならなくてはいけなかったのでしょうか。時代の流れを遡って、リストやタールベルグはどうなのでしょう。また、ブラームスではどうでしょう。それともフンメルは?

録音されたクラシック音楽の音が支配的になった時代の利点は何だと思いますか?

聴衆は、コンサートホールに来る前に、より音楽の知識を持つことができると思います。またある場合は、特にライブレコーディングで、何度も何度も彼らにとって本当に何か意味のある演奏にアクセスすることができるのも利点だと思います。

では、その短所はなんでしょうか。

短所はたくさんありますね。ピアニストが実際演奏したコンサートとは関連性の少ない「ライブ」レコーディングを作り上げているところでしょうか。信頼できる誠実さが、失われていると思います。過去30年あまりにおよぶレコーディングは、芸術性の本当の違いに対して想像力の自由を聴衆にほとんど与えないで、ある作品のノーブランドの演奏を聴きたいという聴衆を生み出しました。

最も素晴らしい生存しているピアニストは誰でしょうか。

私が尊敬してやまないピアニストはたくさんいます。何人かは私の友人です。名前が落ちてしまう恐れがあるので、ここでは申し上げられません。

作曲してみたいという誘惑にかられたことはありますか?もし無いのでしたら、それはなぜだったのでしょうか。

作曲はしたことはありますが、たいていはとてもひどかったのです!それから、モーツァルトの協奏曲におかしなカデンツァを書いて、さまざまな結末の原因となりました。

1日にどれくらい練習するのですか?何かパターン、もしくは日課などがありますか?

私の練習の日課は、普段3時間から4時間、毎朝練習することです。私は、午後大学で教えています。大学生活の一環のなかで、一つだけ頭にくることは、参加しなくてはならない委員会がたくさんあって、これは大学のために必要なことなのですが、たまに私の朝の日課を台無しにしてしまうのです。

もしあなたのレコーディングが、車の中や家事の最中に気軽に聴かれるとしたら、不快を感じますか?

いいえ、全く。実際自分で認めるのはためらいますが、もしそれが自分一人になることができ、厳密に聴くことのできる唯一の時間であれば、私はほとんどの自分のCDを車の中で聴きます。細部が聴き取れなかったり明瞭さに欠ける場合は(そうは思わないけれど)、気になるかもしれません。私は、バックグラウンドミュージックはかけません。

あなたの演奏の海賊版を放送された場合については、どう思われますか?

私は、一切海賊版に対して反感はありません。私にとっては自分が著作権使用料を支払われているかどうかということよりも、少なくとも人々がクラシック音楽を聴いているという事実のほうが重要だと思います。

過去と現在のあなたのコンサートレコーディングはありますか?

たくさんのカセットテープと、古いオープンリールのテープがあって、そのいくつかは私用ためのCDにおとしました。その中からたくさんの演奏を、皆さんにお聴かせしたいかどうかはわかりませんが。ごく最近のベストパフォーマンスは、Annette Tangermannから発売されました。

リーズ国際コンクールでのレコーディングはありますか?

ファイナルラウンドで演奏したラフマニノフのピアノコンチェルト第3番の完全版以外は、持っています。ラフマニノフについては、ファイナルラウンドの次の晩にBBCテレビが放映した最終楽章のビデオだけを持っています。

時間の都合がつけば、どの協奏曲をコンサートで演奏したいですか?

何年か前に、シェーンベルグのピアノ協奏曲とベルグの室内協奏曲(13の管楽器、ヴァイオリンとピアノのための)の両方の作品を学びました。どちらの曲も大好きですが、特にベルグのほうがお気に入りです。しかし、演奏の機会は今まで一度もなかったのです。

どんなことを人々に自分のことを思い出してもらいたいですか?自分の成し遂げた音楽に対する最大の貢献はなんだと思いますか?

それにお答えするのは早すぎますね!それから、わたしには、人々に与えた本当の印象を、果たして自分がわかるのかどうか確かではありません。それは、その時になってみないとわからないことです。




 


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